あははの辻(仮)

万年五月病のような腐女子の鬱な日常。

長浜レポート

※【長文注意】暇なときに読んでいただければ…



2008.08.13(水)快晴

 今回の旅の目的は、取材旅行と小説の舞台探訪を兼ねていた。
浅井長政という武将をもっとよく知りたい、小説や大河の登場人物としての長政ではなく、史実から、自分なりに長政という人物を解釈し、自分なりの長政像をしっかりと持っておきたいという思いから訪れた地であった。

 5時半に起きて、6時半東舞鶴発の電車に乗る。
敦賀で乗り換え。
自分の乗る電車が敦賀の街中を過ぎた辺りから、車窓から見える山々が気になりはじめた。
信長の朝倉攻めである。
眼前を通り過ぎてゆく風景と、手元の観光用道路地図を交互に見て、位置関係を確かめた。
かの時代に幾百の馬が駆けた軌跡を、必死に辿ろうとする私がそこにいた。
「余呉」という駅名にときめいた。

 10時前、長浜着。
10時丁度の湖国バス高山線に乗り、浅井歴史民俗資料館へ。
ここの職員さんには旅行前から随分とお世話になった。
FAXで教えてもらったバスに乗り、窓から見える景色を目に焼き付けた。
ここが小谷城下、ここが湖北の里。
長政が愛しんだ領民がかつて暮らした土地。
琵琶湖畔に揺れる稲穂が、焼討される心配など露ほどもなく輝いていた。

 「プラザふくらの森」バス停から少し迷いつつも、20分ほど歩くと資料館に着いた。
隣接する図書館の入口上に浅井の亀甲紋があしらわれていて、思わずデジカメでパシャリ。
やたら武将の家紋を見てテンションが上がるのは、某PS2ゲームの影響に違いない。
資料館に入ると、とても親切に出迎えて頂いた。
入口正面の小谷城跡模型を見た瞬間、これだけでも来た甲斐があったと思った。
取材の第一目的である小谷山、佐和山、横山、虎御前山、姉川等々の地形と位置関係を立体的に知ることができた。
写真の許可を頂いて、模型を4方向から撮影。
これは使うとすれば一番のいい資料になる。ありがたい。

 2階展示室に、城門が展示されていた。
建て替えの際に不要になり譲渡されたため、小谷城陥落の戦火を逃れたとのこと。
つい4日前に、金沢城に新しく建てられた五十間長屋と櫓を見てきて、「新しい城は組み木も床も壁も瓦も白く、すべすべしていて檜の香りがする」と知ったばかりである。
黒く変色し、朽ちかけた城門に、五百年という歳月を見た。
「ここを長政やお市や万福丸が通ったかもしれない、赤尾美作守や雨森弥兵衛がこの閂に触れたかもしれない」――そう思うと鳥肌が立った。

 他には、久政の書状の奥書に「浅備」と「浅井備前守」が略されて書かれていたことに妙な感動を覚えたり、日本刀の刀身が乱れ刃と直刃の二つ、360度見回せるように展示してあり、それを色んな角度から見て、これを突きつけられたときの視覚的恐怖はどうだろうとか、逆に突きつけたときの見え方はどうかとか、峰の幅の太さや切っ先の鋭さから、これが人に突き刺さったときの凄まじさを想像したりなど、確認作業を楽しんだ。
しかしながら、ただ一つ、いまだに日本刀の重さだけが分からない。

 大変勉強になった資料館をあとにしようとしたら、数枚の資料を頂いた
。思わず「おぉ!」と感激の声がそのまま口をついて出てしまいそうになった。
小谷周辺の史跡地図、戦国武将の家系図(関係図)、小谷城案内(廓等の説明)、湖北めぐりのパンフレット。
まさしく私の欲していたものだった。
そのような資料を集めに、京都府立図書館にまで行こうか迷って、それならば現地に向かった方が早くて安くはないかと考え、訪れた地だったから。
親切な職員様方に、心から感謝いたします。

 せっかく訪れたので、七りん館と鍛冶場も見学。
刀鍛冶、鉄砲鍛冶という職業が山の隠れ里でもできるものだとすれば、これから書く作品にここの鍛冶場はちょっとしたインスピレーションを与えてくれた。
甲賀衆に刀を打たせてみようか。

 プラザふくらの森で昼食を済ませ、13時08分のバスに乗る。再び長浜駅前へ。
 公園前で降りればよかったと少し後悔しつつ、豊公園内の長浜城歴史博物館へ。
 入場してすぐ手帳にスタンプを押して気付いた。
浅井歴史民俗資料館でスタンプ押すの、忘れた。
うっかりにして、しょんぼりである。

 私は木下藤吉郎は好きだが、「豊臣秀吉」という人物があまり好きではないので、ここは展望台以外用がないと思っていたが、2階には意外と浅井家の資料も展示してあり、役に立った。
特に長篠合戦図屏風はビジュアル資料として欲しかったものの一つだし、長政、秀吉、おねの三人の声がコンピューターのモンタージュで再現されていたコーナーは、自身の創作における長政と秀吉の外見・性格を描く上で、重要なヒントを与えてくれた。

 3階は火縄銃の展示。分解して展示してあったので、食い入るように見た。やはり鉄砲鍛冶を出したい。
彼は元忍者で現情報屋だといい。
 悪いが次の階の石田三成関連の展示品は流し見させてもらった。
彼はあまり好きな武将ではない。
歴史的価値のあるものは等しく尊ぶ主義だが、好きになれない武将の展示品まで見ている余裕は、今日の私にはなかった。
長浜城なのに敵方にばかり注目して申し訳ない。
また、いずれ…。

 展望台。
本物の山が三方にそびえている。
山本山、虎御前山、小谷山、横山……そして、琵琶湖。
実際の距離が一目瞭然である。
百聞は一見にしかずとはまさにこのこと。
来てよかった。
展望台をぐるりと一周、余すところなくデジカメに収めた。
城の物見櫓や天守閣から戦の陣営を見張るのは、このような眺めなのだろうか。
狼煙が上がったり、鬨の声が遠くで響いたり、轟音と共に敵が攻めてくる様子に慄いたり武者震いしたり。
小説やドラマで伝令が「あと一刻ほどで…」と言っている意味がよく分かった。
山頂同士に本陣を構えていると、確かに遠くから大軍がよく見えるし、敵襲に備える時間的猶予も少しだがある。
合戦屏風のような陣形になるのは、戦の最終形態というわけだ。
戦とは、かくも広範囲で行われていたのか。
ドラマ、小説、史実、そして舞台探訪という道順を辿ったおかげで、浅井と織田が対峙したときの様子が、憶測に過ぎないが、リアルに思い描くことができた。
今度滋賀を訪れるときは、小谷山に上って他の山を見渡したい、という気持ちが首をもたげた。

 長浜城をあとにして、次は浅井三代の菩提寺、徳勝寺へと向かうことにした。
炎天下の午後2時。
いちばん暑い時間帯に、交番で道を聞いたら「歩くとなるとけっこうありますよ」と言われてしまった。実際には道中も観光がてらという気分だったので、そう遠くは感じなかったが。
15分ほど歩いていたらしい。
何とか見つけた寺はごく普通の寺で、お盆のお墓参りに来ている家族がちらほら見受けられた。

 ここ徳勝寺へは、浅井長政公とその家臣たちを、そして彼らの生きた時代を背景に、創作物を書くことの許しを請うつもりで参った。
「貴方の勇姿、在りし日の姿を捻じ曲げてしまうことを、どうかお許し下さい」と、そう手を合わせるはずだった。

しかし。

 本堂の右手奥に祀られた、一国一城の主にしては小さな三つの墓を前に、去来するのは胸を締め付けるような疑問ばかりだった。
 なぜ貴方は信長に、愛した妻の兄に逆らったのですか。
 なぜ朝倉を選んだのですか。
 なぜ貴方ほどの人物が、負け戦に甘んじたのですか。
 なぜ市を残して逝ったのですか。
 なぜ、なぜ――29歳という若さで、貴方は死ななければならなかったのですか。
 貴方は貴方の正義を貫けたのですか。
 貴方にとって、何が正解だったのですか。
 それが貴方の答えなのですか。
 理由を問う言の葉は尽きず、湧き上がる悲痛な感情を前に、私はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
私の眼前に、菊の花束を捧げ、しゃがみ込んで拝む中年の女性がいた。
 蝉が鳴いている。
私は、暑さを忘れた。

女性が去り、私は日傘を折りたたんで手を合わせ、目を閉じた。先ほど長浜城の展望台で見た、虎御前山の風景が蘇る。
一滴の涙が、頬を伝い落ちた。
「どうか安らかに。貴方の名は残りましたから」そう祈るのがやっとだった。

 目を開けて、もう一度墓を見つめる。
墓は何も答えない。
しかし、くるりと墓に背を向けて歩き出したとき、「これでよかったのかもしれない」と、ふと思った。
信長に刃向かったからこそ、貴方は名を残した。
朝倉を見捨てなかったからこそ、貴方は後世に愛された。
たとえ貴方が歴史の敗者であろうとも、貴方が歴戦の雄であり、江北の父であったのは紛れもない事実だ。
 どうか安らかに。
 私はもう一度だけ墓を振り返り、徳勝寺をあとにした。

 これで全工程は終了。
余った時間は黒壁スクエアをぶらぶら散策し、喫茶店でレモンティーを飲みながら今日の復習をした。この時点ではまだ、自身の長政像を掴めてはいなかった。
後世の何物にも影響されずに当世のものを解釈するのは難しい。
しかしこんなに理解に時間がかかる武将は初めてだった。
あの伊達政宗ですら、仙台の地を訪れたことで、しかと自分の政宗像を結ぶことができたのに。


 帰りの車内にて、湖北の山々を遠くに見つつ、思う。
 この胸に巣くう数多の疑問は、いくつかの歴史書や論文、あるいは歴史小説を紐解けば、それらが答えを示してくれるだろう。
しかし、それではいけないのだ。
私は、誰かの受け売りでも模倣でもなく、しかしながら客観的かつ歴史的事実に忠実で、いくつかの証拠から推測されうる浅井長政なる人物の、哲学と行動理論を、しかと自分の中に置きたいのだから。
いくら後世に伝わる文献を紐解けど、それらは勝者の欺瞞と驕り、もしくは敗者への哀れみと鎮魂に満ち溢れており、闇に葬られし歴史を知ることは永遠にできない。
いくら歴史家の研究論文を読もうとも、事実がいつも真実であるとは限らず、いくら歴史作家の小説を読もうとも、全ては願望に端を発する空想にすぎない。
現代人は戦国に生きた者たちの感情に、あまりに無知である。

 だが、一城にたった一人、一国にたった一人しかいない城主という運命を背負った者の、真の理解者が果たして存在し得たのだろうか。
国を守る思いは同じでも、立場が違えば考え方も違う。
また、たとえ盟友であろうとも、国が違えば状況が違う。
状況が違えば同じ城主の立場でも、考えや思いを分かち合うわけにはいかず、況や裏切りを前提とした同盟ならば、逆に警戒してしかるべきである。
妻は実家より派遣された間者であり、いくら心の底から愛そうとも、身の内を全て吐露してしまうわけにはいかない。
彼の右腕も小姓も養育係も三代にわたり仕えし家臣も、全て彼を察することなどできはしまい。

 一国の主、城主とは、孤独なものなのかもしれない。
彼の真実の心を理解する者が、戦国乱世の当代にすらいなかったのならば、現代人がこの鈍りきった心身と餓えることを忘れた魂で、彼を捉えることなど不可能なのだろう。
思えば命を賭して名を残した若き武将の、身を斬るような苦悩や一時の至福を、我々現代人が分かったつもりになろうなど、おこがましすぎる願望なのかもしれない。

 分からないことばかりだ。
 近づくほど遠ざかる、憧れの人。
 遠ざかるほど木魂する、鬨の声。
 彼らはあの山で、何を想い、戦ったのだろうか。


8月15日、追記。

 創作の手始めとして、私は結局、浅井長政という戦国武将を、「義に厚すぎた」と結論付けることしかできない。
彼はきっと、乱世においては人間の感情を表に出しすぎたのだろう。
無能なる父を他国へ追いやることも出来ず、その父に諭されて朝倉を捨てることが終ぞできなかった。

誰にも裏切られることなく育った彼は、優しすぎた。
思えば幼い頃より人に裏切られながら生きてきた武将は、皆乱世を生き延びた。
例えば信長のように、裏切られ続けたがゆえに人を信じず、恐怖で人を縛りつけた者は、裏切りによって終幕を迎えたが、幾度裏切られようとも愛されなくとも、それでも人を愛し信じた者は、長寿を全うし、その後何代にも渡り栄えることができた。
政宗然り、家康然り。
彼らは武士に対してはしたたかであったが、領民に対しては慈悲の心を忘れなかった。
心を閉ざし恐怖政治を行った者も、守るべき者の為に鬼とも仏ともなった者も、彼らは皆、人の本性の何たるかを知っていた。
長政は、知らなかった。

 彼は生粋の武将の子として生まれ、生まれながらに地位が約束され、敵と味方は幼い頃より決定していた。
猿夜叉は将来小谷城の主となる人物であり、湖南の六角は敵、越前の朝倉は味方――。
それは長政にとって決して揺るがぬ、当たり前の世界であった。
愛する妻の兄ならば、第六天魔王さえも友。
友軍同士が戦ってどちらかにつかねばならなくなったとき、長政は裏切りの報復の恐ろしさを知らぬまま、いや、戦国の世のならいを知らぬまま、旧知の友を守るために、父の名誉を守るために、義兄を裏切った。
非情になれなかった長政は、朝倉の弱さに絶望しただろうか。
後悔はしただろうか。
あるいは、それでも前を向いていたのだろうか。
「これでよい」と、それが湖北に君臨する剽悍無比な白虎の選択であったなら、あまりに心が痛む。

勝てぬ相手と知って牙をむいたのか、それとも、守るべき相手の為に盾となったのか。
時に豊臣秀吉が、作品によってとんでもない悪党として書かれるか歴史の大英雄として書かれるかの二面性を持つように、浅井長政もまた、見る人によって解釈の仕方は様々だろう。
私はこう解釈しよう。
卑怯な手を嫌って常に正々堂々戦ってきた彼は、許しがたき行いを前に、自らの行動理念を貫き通しただけではなかったか。
相手が誰であろうとかまわない。
彼はただ、自分に誇れる自分でありたかった――。
そうでなければ妻も家臣も領民も、何ひとつ守ることなど出来ぬと、彼はそう信じていたのではないだろうか。
それが私の、浅井長政像である。

 信長は長政を笑っただろうか。
私の中の信長は、「バカめ」と一言遣る瀬無い口調で吐き捨てている。
だとすれば金の髑髏は何を意味するのだろうか…。
もう少し長政が冷酷だったなら、信長と共に29歳から先を歩めたのかもしれない。
しかしそれでは彼の命の輝きは、とんでもなくしたたかで凶暴な野獣の牙の光に隠れてしまって、現代にまで届きはしなかっただろう。
彼は飼い慣らされる猫ではなかった。
尾張の龍に向かって吼えた、江北の白虎であった。
たとえ自ら滅びの道を歩もうとも、そんな彼の生き様もまた、人の真実であると私は信じたい。
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金沢行ってきた

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昨日今日で小松の友人を訪ねて、石川へ行ってきました。
今は北陸線の電車の中です。

いやぁ、めっっっっちゃ楽しかった!!
友人がいろいろ車で連れ回してくれて、金沢周辺を堪能できました。

一日目、七時半の電車で敦賀へ。
舞鶴土産を買ったのに家に忘れて、車内ですごい落ち込みました。
で、乗り換えの敦賀でお土産買い直して粟津まで。
ほんとすいません……。

駅に着いたら友人が迎えに着てくれてて、一旦家な荷物置いて車で金沢へ。
炎天下の中、ロンスカとサンダルで帽子も日傘もなしで兼六園に行く私は勇者だと思いました(苦笑)
それから金沢城にも行きました。
ちょうどオペラ祭やってて、演歌とかすごくいいBGMでした(笑)

あと、その日はちょうどホコ天で、出店もたくさん出て、太鼓とかよさこいソーランとかやってて、ザ・城下町の町衆の祭り!って感じでとても賑やかでした。
マジ良い時に行ったよ!
その出店の一つで、白山の万年氷で作った氷菓子を限定販売してて、めでたくそれにありつけまして、堪能しました。
ウマー--(*゚Д゚*)---!!


そして友人宅へ。
豪華なヴァンご飯いただきました。
ご家族もいい人たちで、ワインまで飲ませていただきました。
着替えまで貸していただいてすみません…

お風呂に入ってから熱闘甲子園見せてもらったりして。
12時就寝。

二日目。
朝ご飯いただいて、また車で金沢へ。
21世紀美術館に連れてってもらいました。
スヌーピー展とプールに感動しました!!

そのあと近くの甘味処へ。
風情のある店内に美味なくず餅vv
小京都、城下町最高です。
前田利家ありがとう!!

昼ご飯はCOCO'S。
なんか友人が申し訳なさそうだったけど、地元にファミレスがないので、COCO'Sでも十分嬉しかったです。
大学時代の味!!

それから白山市の植物園行って、その帰りに岩魚食べて、最後に友人の通ってた大聖寺高校を見せてもらいました。
岩魚串に刺さってて、しかもいい塩加減で、マジ感動しました!!
一回串刺しの魚屋外で食べてみたかったので、夢が一つ叶いました。
高校は門がすごかった…。

別れ際、とても素敵なお土産をいただきました。
感想はまた後日。
今、敦賀に向かってます。
帰ったら弟が神戸から帰ってきてます。
楽しみじゃー!
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徒然なるままに、現状。

現実乖離治癒のため、滋賀に行ってきます。
長政様の遺功をその目で見ないとどうにも現実に帰ってこれない。
でもその前に寂しい心を癒すため、金沢に行ってきます。
ブータロちゃんに会いに行きます。
その後は神戸に行きます。
三宮で仮面ライダーキバ見てきます。
関さん、ゆっちー、てらそまさん、スズが顔出しという情報www
さすがタロス、なんでもやりますwww

このスケジュール、全部来週一週間でこなします。
しかも思い立ったの今日です。
金沢は先週の水曜あたりですけど。

9・10日=金沢(小松)
12日=長浜(虎姫、小谷)
13日=神戸(三宮)
15日=福知山(母の実家、花火大会)

もしかしたら三宮は17になるかもしれない…。


母に「滋賀県に行くよ」と言ったら、近くで聞いてた父が「浅井長政か!」と。
「うん」と返事したら、母が、「『おやかたさばぁぁぁぁぁぁ!』か?」と聞いてきました。
ち ょ wwwwww な ぜ 知 っ て い る wwwwww
てかそれユキムルァだから!長政様違うから!長政様は「悪と無駄口削除なり!」だから!
てかそもそもBASARA巡礼じゃないからね?!
完全に遊びに行くと思われてるけど、取材だから!
新作書くためのビジュアル資料が欲しくて図書館行って絶望して、府立図書館まで行く経費勘定したら現地行く方が安くて早かっただけだからね?!

つーか私は新人賞狙うためにどんだけ苦労してんだろう…。
現代モノ書けばこんなに時間もお金もかからなくて数もこなせて効率とってもいいのに。
ほぼ日雇いみたいな仕事で、先行き不透明で、将来の不安は尽きないっていうのに、「どうしてもこれが書きたい」ってなってしまったらもう止まらなくなる。
宿ったものは産んであげたいし、産んだ我が子は育てたい。

ある若武者と少年忍者の恋物語。
BLですが何か?
浅井と織田が敵対したときから、それは悲劇に変わるのです。

今日も職場で単純作業の最中に、ずっとプロット練ってました。
というか、ほぼ自然と湧き上がってのめり込んで帰ってこれないっていうサイクルなんですけどね。
現実乖離ってやつです。
逃避じゃない、幽体離脱に近いから。
途中何度か主人公の不憫さに涙しそうになりました。
自己陶酔ってやつです。
紙折りの最中に訳もなく悲しくなって涙をこぼす事務員とか、相当怪しいですね…。

なんか…普通に会社人間になれない気がしまくってるんですけど。
世間と自分の時間の流れが違う。
合わせようとすれば指先から崩壊していく。

今の自分を抑えて地に足つけて社会の歯車となって生きるくらいなら、思い切り自由に背中の羽で飛び立って太陽の暑さに耐え切れずに落ちて死ぬほうがよほどいい。
後悔しながら長生きするより、一瞬のスパークを残して逝きたい。
そのための努力は惜しまない。
ただ、遠回りはしたくない。
なぜか焦ってる私がいる。

公務員になんて、なれっこない。
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散るは近江の夢の痕

ひとぉつふたぁつみつよっつ……

賽の河原で石積みて
恋しはずの母の名も
ぐっと飲み込み遊びたる
其方は何故殺された

父の謀反の咎を負い
磔刑に処せらる哀れな子
「武士の子じゃから仕方ない」
此れが誉れと脇腹の
貫く槍の傷見せて
笑う其の子は僅か十
元服も済まぬ幼子の
其の名浅井万福丸

賽の河原を血に染めて
遊ぶ子武士の誉れの子

父よ、父よ、其の首を
陵辱されし我が愚父よ
御恨み申す
とこしえに、とこしえに。
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何か最近

子守りばっかしてる気がする…。
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ビッグニュースがふたつ。

まずひとつ。

源氏物語の定家以前の写本が新たに発見されました。
以下、ミクシィの自分の日記コピペ。

源氏物語千年紀にあたり、研究に力を入れた結果、定家以前の、平安後期〜鎌倉初期のものと見られる写本が新たに発見されたらしいです。
ちょwwwどんだけ力入れたんだwwwって話なんですが、しかもその写本は現在最も流布している「青表紙本」系統ではなく、明治の研究記録に残る「大沢本」だったらしく、今までの源氏物語にはない「なにはの浦に」という記述が「夕霧」の巻に記されていたとのこと。
分かりやすく言えば、戦前に散逸し伝説となっていた写本が見つかった、というところです。

「なにはの浦に」といえば、私の記憶が正しければ、源氏物語以前(古今集収録?)の有名な和歌です。
これを成熟した夕霧の感慨にあてはめて本歌取りしたならば、またそこから新たな作者の意図が読み取れるかもしれません。
ただし、この記述が間違いなく紫式部の書いたとおりのものならば。

鎌倉時代の写本というのは実にいい加減で、「平安時代なんて昔の言葉分っかんねぇよ。よし、現代語訳してやれ」と、鎌倉時代に流行った言葉(これも今からすれば同じ古語なんですが)で写されたものが多く、原文の言葉遣いでないまま、その写本を江戸時代まで写し続けたりしてるんですよね。

まぁそれだけなら他のちゃんと原文のまま写されたものと比較して違いが分かるんですが、中には写した人の主観で文章が挿入されたり削られたり、勝手に編集されてるものがあるんですよ。
現代なら悪質な著作権法違反なんですが、当時は本人に何の悪気もなければ罰則もない、そもそも著作権もない時代なので、当たり前にそれが許されていました。

さらにいい加減なものになると、勝手に編集しといて、「これは誰それに借りて写しました。何年何月 誰々」という奥書が全くないものまである始末で、こうなるともう墨や紙を化学分析して年代を遡って、どこから間違って伝えられたのか憶測するしかないんですよ。
これが後世の研究の障害になってるわけなんですけども。

あぁ、それにしてもこの世紀の発見の、源氏物語千年紀のこの年に、竹内ゼミにいたかった……。
後輩たちウラヤマシス!!


そしてもうひとつ。
地元京都北部の福知山成美高校が、3度目の甲子園出場を決めました!!
ひゃっほーう!!
今日も1回に打撃が爆発、一気に5点。
その後もヒットが続き、8−2で圧勝。

4回まで昼休みだったので、職場のテレビつけさせてもらって、食い入るように見てました。
職場の保健師さんの中には、お子さんが野球部という方が多くいらっしゃって、事務職員の係長なんかはご自身が野球部でしかもマネージャーと結婚したという羨ましすぎるドラマチックの持ち主なので、テレビ付けたとたん、皆さんの食いつきが尋常ではありませんでした(笑)

よし、甲子園一試合目、俺、帰る。
時間休もらう。
頑張れ成美!!
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なんというミラクル

京都大会準決勝。

        1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
京都外大西 1 0 1 0 0       2
福知山成美 7 2 2 1 X      12
        5回コールド

【投手】京都外大西:立脇→岡本→中村→熊谷
     福知山成美:植田→長岡
【本塁打】福知山成美:門林

(asahi.comより)


去年の甲子園出場校を5回コールドで破って、地元北部が決勝進出です!!
ひゃっほーう!!
決勝の相手は春に勝った立命館宇治。
打撃大爆発のまま一気に突き進んでくれぇっ!
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みんな知ってるか?

昨日は職場の納涼祭で、ボーリング後飲み会に。
二次会終わってマイミクさんの旦那さんに送ってもらって家に着いたの深夜0時www
30人くらいで飲みました。
楽しかったです。
ボーリング私のせいで最下位でしたけど…。
係長ホントすみません。。。

さて。
キバの映画に電王声優陣が映りで出演、という話。
電王の映画では響鬼のトドロキ君が忍者役でモモタロスのことを「鬼じゃー!」と言う役で出てましたけど、今年は4タロスの声の人です。

雑誌の予告編のピンナップで見ただけで、文章での説明は何もなかったので情報は写真だけなんですけど、それを見る限り、

関さん@モモ=看守さん(もしくは警察?)
ゆっちー@ウラ=棋士(黒ブチメガネに青い着流しwww)
てらそまさん@キン=理科の先生(黒板に黄色で「泣けるで!」とwww)
スズ@リュウタ=体育の先生?(ラグビーボール持って子供とグランドで戯れてた)

のようです。
しかしこれ…一部の声優ファンにしか分からないネタだろう…。
どうするのかな、名台詞とか言うのかな?
それともキャラの声色で演技するのかな?
スズがあのショタボイスで喋ってたら絶対吹くwww
ゆっちーがあのエロボイスで喋ってたら恥ずかしくて画面直視できないwww
つかピンナップの時点で盛大に吹いたwww
ウラタロスが!ウラタロスがいるよ!!wwww

親がタダ券当ててくれたので、夏休みに京都まで出て見てきます。
なんと9日間も休みがあるよ。
もっと働かせて下さいwww
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10年前と比べて明らかに暑い地元

最高気温36度。


・・・ありえん(汗)



連日猛暑日の続く中、毎日自転車通勤頑張ってます。
職場は公的機関だからエアコンが定時にならないとつかないので、朝礼前はいつも汗だくです。
時々着替えスタンバイしてます。
もちろん、日焼け止めも完備。
でもちょっと焼けてきた…(汗)

この暑い中、
BASARAの曲を聴いて出撃…いや出勤すると、外気温が天気予報よりも暑い気がしてうだってしまうのに、ワンピの曲を聴いて出航…いや出勤すると、この暑さが心地いい。
やっぱ同じ熱血でも戦いと冒険では種類が違いますね。

さうざんさにーごー♪ふらいはーい♪せんのうみをこえーてー♪みはてぬゆめのー♪そのはてまーでもー♪ゆけぇぇぇぇぇぇ♪さうざんさにーごー♪

通勤路が海沿いなので、夢が広がります。
きらめく真夏の海が大好きです。
はじける磯の香り!ウラタロス…いや冒険の匂い!
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新作できました。

皆様、お待たせいたしました。
オリジナル小説、新作です。
純日本古典文学愛好家の私が、めったに書かない西洋風恋愛ファンタジーにチャレンジしたものが約2年前から存在していたのですが、内容があまりに悲劇な上にファーストセンテンスにパンチがないため、修正しよう、修正しようと思いつつ、歳月が流れてしまい、公開が今日になってしまいました。

「クランベリーの丘で」

読後の評価・感想等お待ちしております。
「ツマンネ」「ちょwww」「はいはいわろす」等、何でも構いませんので、リンク先のサイトの評価欄もしくはこのブログのコメント、あるいはオフの知り合いならばメールでお言葉をいただけると嬉しいです。


前の日記直後から今日まで、実は深刻なトラブルが発生してかなり落ち込んでいました。
今は解決し、前向きに生きております。
ミクシィ等で心配してくれた皆様、ご心配並びにご迷惑をおかけしました。
うっかりミスから深刻な問題を引き起こしてしまうダメな私ですが、今後ともお付き合いよろしくお願いいたします。
そしてサイトの方、更新が滞っていて申し訳ありません。
マイペースでやっていきたいと思います。
どうか生温かい目で見守ってやってください。


それから…。
群馬の一部の方にしか分からない私信です。
ビミサン旨ぁー!
ウッーウッーウマウマ♪です。
新潟の後輩Hさん、ありがとう。
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